Palais idéal

物置のような雑貨屋のような、紙のような文のような

たそがれは風を止めて

「最近はどうしてたんだい」

店に入ると、スカウトマンの原田が話しかけてきた。

仕事が立て込んでいて、なかなか競馬に向き合うことができない期間が続いた。気づけば年末が迫っている。急に冷え込んできていて、冬用のコートをだすべきか迷っている。

「花ちゃんが競馬買ってみたいんだってさ。アドバイスしてやってくれよ」

花ちゃんはこの夏から、鳩麦さんの喫茶店「シュヴァルドール」でアルバイトをはじめた大学生である。

今日は、マイルチャンピオンシップの日だ。

初めて競馬を買う日には、ビギナーズラックが訪れる。競馬の神様は、笑い転げるように、人々を競馬に引きずり込んでゆく。馬券を買ったことがない女の子を、意気揚々と競馬場につれていった男がいても、往々にしてビギナーズラックをつかみ大勝した女の子をみて、苦々しい思いで南部線に乗り込むことは必定である。

「競馬をやってみたいんだって」

珈琲をもってきてくれたタイミングで花ちゃんにきいてみた。

「どうして競馬をやってみたいんだい」

「だってお馬さん、かわいいじゃないですか」

最近馬を、文字通りの「アイドル」扱いするカルチャーは広がっている。若い女の子を計画通りにJRAは客として取り込みに成功しているようだ。運営者も競馬の神様になった気分だろうか。

「たしかにかわいいよね」

というと、花ちゃんは

「それだけじゃないんですけど……。」

と言って、黙り込んでしまった。口ごもった花ちゃんの顔に影がさした。

「復讐……ですかね」

話をかえるつもりで、

「好きな馬名から買ってみるのはどうだい」

というと花ちゃんは「セリフォス」が気になるという。その選択には私もどきっとした。

いいのではないだろうか。

私自身はシュネルマイスターの悲願にかける気でいただが、しかしあまりに人気すぎる。

花ちゃんのはじめの一歩にあやかって、8-7で勝負したい。

馬連なら、ソーヴァリアント―エルトンバローズか。毎日王冠でソングラインに勝ったのだから、ここで勝負になってもいい。

枠連だったら、ナミュールから二けた人気馬なので、こちらも面白い。

競馬に触れることで、人生はどのように動いていくものだろうか。否、競馬に触れることで、人生はそのひとの人生になっていくだろう。

寺山修司もいう。「競馬が人生の比喩」なのではなく「人生が競馬の比喩」なのだ。

 

花ちゃんは、単勝3万円を賭けるという。

アルバイト代に鑑みても、破格だ。

花ちゃんの勇気に感服する。

 

「それは君がどこに行きたいかによるね。」ネコは言いました。

「どこでもいいのですが――」アリスは言いました。

「――どこかに、着きさえすれば」と、アリスは説明をつけ加えました。

「そりゃあ、着くだろうよ」とネコ。「そこまで歩いていけばね。」

(『不思議の国のアリス』より)

 

(2023.11.19)

都会の夢は夜ひらく

はてさて、菊花賞、どうしたものか。

「シュヴァルドール」のいつもの席で新聞を広げていると、アルバイトの花ちゃんが原田相手に話しているのが聞こえてきた。

「月に1度は、伊勢丹に行くんですよ。なんにも買わなくていいんです。ただ眺めているだけで幸せな気持ちになれる、というか」

「買わなきゃ意味がないじゃないか」

原田は納得いっていないようだ。

「買わなくていいんですよ。むしろ、買おうとしたら駄目なんです。持ってるお金のなかで一番いい買い物をしてやろうっていう気になっちゃうんで。とにかく心を豊かにするために行くんです」

花ちゃんの話はなんとなくわかる気がした。

すこし暗い証明のなか、とりどりの服が並ぶ。そのどれもが、歩くひとに強く働きかけている。子どものころ、見慣れたものなどなく、すべてが新鮮に、また固有のものとしてそこに現れていたころの感覚に似ている。

伊勢丹は最後の宝箱かもしれない。すべてを着尽くすことなど到底できない数の服が、プロの手によっていつも清潔に管理されている、「私だけの」クローゼット。

 

むかし読んだ小説のなかで、気分が盛り上がった登場人物が、街の中のあらゆるものを指して「あれは僕の所有だ」と叫んでいたのを思い出す。

 

馬柱のなかで、ナイトインロンドンという馬名が輝きを放つ。

濃い霧に、月をも霞むロンドンの夜に、豪奢なデパートの電飾もきらびやかにのっそりと佇んでいる風景が眼裏に浮かんできた。モダンの原風景。

父はグレーターロンドン。華麗なるロンドン橋一族。母はムーンハウリング。母父はメジロマックイーン。言わずとしれた「メジロ」最高傑作。

父と違い、比較的長めの距離で実績を積んできた。若駒たちの誰もが未経験の三千メートル戦。勝機はあるのではないか。

 

もしこれで当たったならば、花ちゃんにアクセサリーのひとつでも買ってあげよう。

 

夢よ風よ

店に入るとめずらしく鳩麦さんが話しかけてきた。

「先週は散々だったんだって」

私と原田は先週の3日間開催の週に京都に遊び、京都大賞典の日、ピカピカの京都競馬場に赴いたのであった。

「出場した馬の中で、ハヒフヘホから始まる馬名の馬が6番から10番に並んでいたんだ。これはなにかあるとおもってそこを買ったんだがね」

重馬場の芝をのっそりと追いかけてきたディープボンドが3着に入ったおかげで、私の馬券はお持ち帰りの記念品、夢の抜け殻となったのである。

珈琲を飲んでいると、疲れ切った原田がやってきた。原田は新宿でスカウトマンをしている。

「昨夜、面談した子がね、夜のうちに自殺未遂をしたらしくて。警察に呼ばれて参っちまったよ」

女たちに苦しい時代はつづく。

原田は「弱い女はどこまでいっても弱い。女だろうと男だろうと、強いやつは強いのだ」とリバティアイランドから買うらしい。

私はどうしようかと新聞をみていると、エピファネイア産駒がいる。シーザリオにとって秋華賞は、出場すら叶わなかった幻の舞台だ。

モリアーナというのはスラブ神話の風の女神らしい。占星術では、いまの時代は「風の時代」だということだから、モリアーナには追い風もふくだろう。

 

 旅に病んで夢は枯野を駆け回る

 

まるでシーザリオの辞世の句である。

大転換期。女たちに幸あれ。

 

(2023.10.15)

 

 

 

凱歌をあげよ!

ドアを開けると、珈琲の香りが漂ってきた。

カウンターには今日もすでに、スカウトマンの原田が座っている。鳩麦さんがカウンターの向こう側で、ゆっくりと珈琲を淹れている。

開店10分前。

新聞をみていた原田が

凱旋門賞ってのは、やっぱり日本の悲願ってことなんですかね」

と、ぼそりとつぶやく。

「きっとそうなのだろう。競馬を動かしてる連中の中心にいくほど、凱旋門賞というタイトルが欲しくてほしくて、たまらなくなるんだろう」

いつか世界一を。それは駆け出しのボクサーだろうと、インターハイ優勝の陸上選手だろうと、同じかもしれない。しかし。原田が言う。

「どうも日本の競馬界は、凱旋門賞というものにあまりにも固執している気がしますけどね」

凱旋門賞戦間期にはじまった。世界中の馬をブローニュの森ちかくに集めて、古馬の世界一を決めようと、パリ市や実業家たちがはじめたのだ。

凱旋門賞挑戦にはリスクが伴う。日本の競馬とロンシャンの競馬は、競技としてあまりにも違う。それでも日本で最強の称号を得た馬や、凱旋門賞に適性があると思われる馬は、こぞってフランスの地での勝利を狙ってきた。今年はついに、その名の通り、日いづる国からスルーセブンシーズが挑戦する。

「日本はいまだにヨーロッパに「追いつけ追い越せ」なんだろうね」

「コンプレックスの塊みたいですね」

「日本自体が、近代というものに出遅れた追い込み馬だ」

 

数年前、彼女を外国からきた男に寝取られてしまったフリーターの「ヤス」を、ジャパンカップにつれていったことがある。

そのヤスには大学時代から付き合っていた彼女がいた。彼女は卒業と同時にグローバル展開する大手企業に勤めはじめたが、ヤスはまともに就職する気にもなれず、ぶらぶらしていた。

大学を卒業して最初の夏、イギリスからきたエリートサラリーマンのイケメンくんに彼女はあっという間に奪われてしまったのである。

ヤスがあまりにも落ち込んでいるので、日本馬が外国馬を蹴散らすのをみてやろう、と意気込んでジャパンカップをみにいったが、その年の開催には外国馬が一頭も出場していなかった。

それでもヤスは、「2番目に人気」の牡馬の単勝に、その月のバイト代をすべてつぎ込んだ。

レースはまとまった一団からの瞬発力勝負。ヤスが買った「2番人気の牡馬」は、エンジンがかかるのが遅く、早めに抜け出した牝馬と牡馬に追いつくことができず、3着だった。牝馬は向こう正面からじわじわと位置を上げていき、4角を抜けてトップに躍り出た。勝馬はその牝馬を悠々と内からするりとやってきて、さらりと身軽に差していったのだった。勝馬の名前はスワーヴリチャード。イギリスから来た騎手マーフィーが乗っていた。冠名に付された、英語圏の人名である「リチャード」はもともと、ゲルマン語で「力強い支配者」を意味する。

ヤスは完膚なきまでに従属の立場へと追いやられてしまった。

 

この時2番人気だったワグネリアンは、ダービーの栄光に追いすがるように一心に次のタイトルを追いかけつづけた。しかし彼の走りが、彼自身の栄光に追いつくことはなく、その後の彼は一度も馬券になることはなかった。翌年秋のジャパンカップでは先行策から18着と大敗した。そしてその冬、胆石が胆管に詰まってあっという間に死んでしまったのである。

悲壮なメロディが冬の栗東に寂しく響いた。ヤスの彼女だった女の子は最近、イギリスから来たその彼と結婚した。ヤスがこの《トリスタンとイゾルデ》物語の結末を知っているのかどうかは定かではない。最近では、ヤスがどこでどうしているのかも、誰も知らないのである。

 

スプリンターズSはどうしますか」

と原田が尋ねてきた。

「荒れやすいレースだからね。あまり高望みをせず、穴狙いでいくよ」

セントウルステークスで2着の穴をあけ、今回も2番をひいたテイエムスパーダは、母父アドマイヤコジーンの血がこの舞台でも効くのではないかと期待する。小倉で1.05.8の千二最速レコードの持ち主は、前走からメンコを外したという。

素顔をさらして美少女はさらに快速になる。

 

ここで美少女戦士に期待を託してしまう私は、カワイイの国・日本の軟弱な男子なのだろうか。

追いかける馬ではなく、トップスピードで逃げていく美少女戦士が一番に過ぎていくのを見たいのだ。

 

(2023.10.01)

彼岸花の咲く頃にゃ

 喫茶「シュヴァルドール」のドアをあける。カウンターの中でマスターの鳩麦さんが、せわしなく立ち働いている。ちらとこちらをみてすぐに仕事にもどる。まだオープン前なのだが、常連の私たちはこっそり入れてもらっている。

 カウンターにはすでにひとり、歌舞伎町でスカウトマンをやっている原田がいる。原田も日曜日の朝だけは、早起きを欠かさない。

 ひとつあけて、カウンターにつく。鳩麦さんの手が空けば珈琲がでてくるだろう。せかしてはいけない。新聞を握る原田の手元にもまだ、珈琲どころか水もない。

 「やっと秋らしくなりましたね」

 原田がぼそりといった。今年は、暑さが長引いていた。

 ほんとに気候変動というのか、7月以降、毎日35度を超えていた。9月なかばになっても、クーラーをつけて寝ていた。体は正直だ。ただ「暑さ寒さも彼岸まで」という諺は気候変動も破ることはできなかった。

 ふと思い出した。

 そういえば、熱中症で死んだ馬がいた。

 災害級の暑さといわれた今年の夏。家の周りでは蚊が少なく、日本中で千人が死に、欧州では山火事が頻発、世界の終末が現出した。そして同じ夏、放牧先でアスクビクターモアは死んだ。

 22年の弥生賞馬は、皐月賞で5着だった。しかしダービーで3着、セントライト記念で2着したあと、ついに菊花賞馬となった。

 菊花賞でボルドグフーシュから買っていた身としても納得の配当だった。

 年が明けてからの成績は、まるで夏に待っていた悲劇的な終わりへの序曲のようである。

 日経賞、天春、宝塚で、9着、11着、11着。先行勢として四角をまわってもそのまま馬群にのまれて消えていってしまった。そうして彼は、ターフから遠く離れて熱をため込んだ臓器を抱えて死んだ。

 今週は神戸新聞杯オールカマーである。アスクビクターモアが2着したセントライト記念で1着したガイアフォースは今年、オールカマーに参戦している。

オールカマーというくせに、一頭しか騙馬がいないのはどういうことですかね」

 原田のアンチポリコレな発言を無視しつつ、改めて馬柱を観る。なるほど、騙馬は1頭、牝馬が3頭、残りは牡馬である。

 騙馬はともかく、牝馬はよく好走する。かつてショウナンパンドラルージュバックが勝った。センテリュオとカレンブーケドール、ウインマリリンとウインキートスは牝馬で連対。昨年勝ったのも、ジェラルディーナである。

 スカウトマンならまずは女の扱いを考えたほうがいいのではないか。

 しかし。

「今年はマテンロウレオからいくよ。」

 

  死んでいた朝に とむらいの雪が降る

 

 と、梶芽衣子が歌っていたが、真夏の放牧地で、暑熱に斃れる、ということはどれほど色鮮やかで、それだけにさみしく、また空疎なことだろう。

 そう思っていると友人から、府中は郷土の森で満開になった彼岸花の写真が、届いた。

 若駒が弥生賞皐月賞と駆け抜けた中山にも、今ごろ彼岸花が咲いているだろうか。

 

(2023.09.24)