彼岸花の咲く頃にゃ
喫茶「シュヴァルドール」のドアをあける。カウンターの中でマスターの鳩麦さんが、せわしなく立ち働いている。ちらとこちらをみてすぐに仕事にもどる。まだオープン前なのだが、常連の私たちはこっそり入れてもらっている。
カウンターにはすでにひとり、歌舞伎町でスカウトマンをやっている原田がいる。原田も日曜日の朝だけは、早起きを欠かさない。
ひとつあけて、カウンターにつく。鳩麦さんの手が空けば珈琲がでてくるだろう。せかしてはいけない。新聞を握る原田の手元にもまだ、珈琲どころか水もない。
「やっと秋らしくなりましたね」
原田がぼそりといった。今年は、暑さが長引いていた。
ほんとに気候変動というのか、7月以降、毎日35度を超えていた。9月なかばになっても、クーラーをつけて寝ていた。体は正直だ。ただ「暑さ寒さも彼岸まで」という諺は気候変動も破ることはできなかった。
ふと思い出した。
そういえば、熱中症で死んだ馬がいた。
災害級の暑さといわれた今年の夏。家の周りでは蚊が少なく、日本中で千人が死に、欧州では山火事が頻発、世界の終末が現出した。そして同じ夏、放牧先でアスクビクターモアは死んだ。
22年の弥生賞馬は、皐月賞で5着だった。しかしダービーで3着、セントライト記念で2着したあと、ついに菊花賞馬となった。
菊花賞でボルドグフーシュから買っていた身としても納得の配当だった。
年が明けてからの成績は、まるで夏に待っていた悲劇的な終わりへの序曲のようである。
日経賞、天春、宝塚で、9着、11着、11着。先行勢として四角をまわってもそのまま馬群にのまれて消えていってしまった。そうして彼は、ターフから遠く離れて熱をため込んだ臓器を抱えて死んだ。
今週は神戸新聞杯とオールカマーである。アスクビクターモアが2着したセントライト記念で1着したガイアフォースは今年、オールカマーに参戦している。
「オールカマーというくせに、一頭しか騙馬がいないのはどういうことですかね」
原田のアンチポリコレな発言を無視しつつ、改めて馬柱を観る。なるほど、騙馬は1頭、牝馬が3頭、残りは牡馬である。
騙馬はともかく、牝馬はよく好走する。かつてショウナンパンドラ、ルージュバックが勝った。センテリュオとカレンブーケドール、ウインマリリンとウインキートスは牝馬で連対。昨年勝ったのも、ジェラルディーナである。
スカウトマンならまずは女の扱いを考えたほうがいいのではないか。
しかし。
「今年はマテンロウレオからいくよ。」
死んでいた朝に とむらいの雪が降る
と、梶芽衣子が歌っていたが、真夏の放牧地で、暑熱に斃れる、ということはどれほど色鮮やかで、それだけにさみしく、また空疎なことだろう。
そう思っていると友人から、府中は郷土の森で満開になった彼岸花の写真が、届いた。
若駒が弥生賞、皐月賞と駆け抜けた中山にも、今ごろ彼岸花が咲いているだろうか。
(2023.09.24)